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豊臣秀吉と壱岐國勝本城


城址図の寸法1


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はじめに

 H19年3月9日、勝本町ふれあいセンター「かざはや」で、一支國研究会の主催で講演会『豊臣秀吉と壱岐國勝本城』が行われた。講師には、佐賀県立名護屋城博物館学芸課長 高瀬哲郎先生が来島され、約一時間半にわたって講演された。高瀬先生は、勝本城の石垣が鏡積みと云う、石材の最も広い面を表とする技法で、かなり危険な積み方を多用した特異性を指摘されていた。
  勝本城を紹介するこのHPの文章は、一支國歴史発見講演会資料『豊臣秀吉と壱岐國勝本城』から多数引用しています。  






1.勝本城址図の寸法

 豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し、壱岐の領主であった松浦鎮信に命じて、壱岐の風本(勝本)に築かせた出城である。別名を風本城・武末城・雨瀬包城ともいう。勝本城は、太閤秀吉の城として天下普請が行われた、全国的に見ても数少ない貴重な文化財である。城址図に書かれた寸法を実測して城址図の信頼度を検証して見たいと思います。

壱岐國勝本城址(財団法人 松浦資料博物館所蔵)





2.城址図の寸法書き出し

 城址図の寸法をきちんと書き出そうとしたが、私の手持ち資料では、字がよく読めないところが多く困ってしまいました。壱岐日々新聞に講演会の記事が出ていたのを思い出したので、さっそく電話をかけて資料の閲覧をお願いしたところ、快く許可を下されたので調べることができました。しかし、まだ三文字わからないので、不明な文字は□で書いています。

城址図の寸法







3.勝本城址の実測における誤差

 城址の実測において点から点まで正確に測れたと仮定しても、下図のようにどの位置で計測するかによって、誤差が生じることを考慮の上御覧下さい。

 勝本城址の実測における誤差







4.勝本城址図の寸法と実測値

 いよいよメインである城址図に書かれた寸法を実測して城址図の信頼度を検証して見たいと思います。下記の数値は、最初に図面の寸法、次に変換値、実測値(青字)、必要な時は修正値(赤字)の順です。

壱岐國勝本城址の@寸法 壱岐國勝本城址のA寸法



壱岐國勝本城址のB寸法 壱岐國勝本城址のB実測値



 壱岐國勝本城址のC寸法 壱岐國勝本城址のD寸法



壱岐國勝本城址のH寸法の反対側西端 壱岐國勝本城址のH寸法の反対側



壱岐國勝本城址のE寸法 壱岐國勝本城址のE寸法








 城址図の寸法@とAは高さで大体の寸法はすぐに出ました。Bの寸法は下面を測ったり上面を測ったりいろいろやり、外法の上面を測ってみると近似値が出ました。しかし、城址図の寸法記入位置は、内法みたいに書いてあるので、これで実証出来たのかわかりません。Cの寸法は何の問題もありません。Eの寸法は、Bで苦労したぶん要領を得たのか上面を測ることによって近似値を出すことが出来ました。
 問題はDの寸法です。長さ 五間壱尺五寸(10.30m)で、石垣の西端からお稲荷様東の壁まで750cm、そこから石垣の東の端まで約50cm、合計が800cmでかなり寸が足りません。。そこで目測ではあるが、上側の石垣の西端との同位点を下側の石垣に求め、東側の石垣にも同じようにして同意点を求めて、計測すると955cmと云う近似値が出て嬉しくなりました。でも冷静に考えたら、測定方法にかなりの無理が有る様な気がします。






  *07/04/30  壱岐日々新聞社の植村記者のお世話で、佐賀県立名護屋城博物館の高瀬哲郎先生と連絡が取ることが出来ました。高瀬先生より、天正年間の一間は六尺ではなく、六尺五寸だとの御指摘を頂きましたので、早速 変換値の修正を行いました。











   


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