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壱岐の風景      曽良翁300年忌記念誌Web版

 



 


   祭   文           目次へ


              曽良実行委員副会長  藤嶋光信


 本日茲に、壱岐島内多数の御来賓の方々のご列席を得て、更に賢
翁居士のふるさと信州より、諏訪副市長様を始め四名の代表者の
方々を遠路お迎えして曽良翁300回の大忌の記念事業大法要が行
われるに当たり、謹んで、追悼の誠を捧げます。今や俳聖芭蕉の伝
統俳句は、千古不朽の名著(奥の細道紀行)と昭和13年に発見さ
れた「曽良随行日記」等により遍(あまね)く全世界に普及しつつあり、
その奥深い「哲理」、「わび」「さび」、そしてまた「軽(すさ)び」
など識者の高い評価を受けております。
 
 近年価値観の変化などによる、新俳句、現代俳句、無季俳句、児
童句など型式の異動はあっても、反面、復古調(レトロ) の再認
識も盛んであって伝統の芭蕉は厳として動じないことを信じます。
 
 曽良翁、あなたが、芭蕉翁に随行して細道の難行苦行を続けられ
た7ヶ月は遂に健康をそこなわれ、加賀での隻鳧(せききゅう)の別れと
なり、再び江戸に出られてからは、かねて造詣深い地誌学や神道学の
素養と、紀行の実績が認められ、幕府の九州地区巡見使の随員に登
傭され、所謂(いわゆる)「乞食やめて」の官録に就かれたのでありま
す。瀬戸内海から黒田藩、松浦藩に入り、壱岐国、対馬の行程は、ま
た相当の重荷であり、当地、中藤家の一室で病気加療中62才を一
期とする無念の永眠となりました。その臨終には翁の夢は、遠くシ
ルクロードの荒野を駆け巡っておられたのではなかったでしょうか。
 
 曽良翁と壱岐と私どもとの機縁はこの時から結ばれており、平成
六年勝本町と友好都市の提携、5年前には壱岐市と姉妹都市の提携
がなされました。
 
 この機縁が元で御柱の寄贈や毎年、勝本での朝市祭りや諏訪祭り
における観光物産展、壱岐商業高校と諏訪実業高校との交流が行わ
れています。
 
 賢翁居士、あなたの絶句とも言われる「行き行きてたふれ伏すと
も萩の原」の記念句碑は、城山の中腹にあります。また、280年
忌の折、諏訪市文化協会からは名木カリン5本、黒松5本が寄贈さ
れ句碑の周辺に植樹されています。
 
 300回忌を迎えるに当たり、昨年12月より山口会長を中心に
準備委員会に始まり実行委員会を結成し、昼夜努力をして本日を迎
えるに至りました。
 
 ただ今、文化センターホールで嘆仏大法要、献茶、これから一般
及び小中学生の公募俳句大会や作品の入賞者表彰式を行います。あ
なたと芸術や機縁はとこしえに生きています。
 
 茲に、更めて賢翁居士のご冥福をお祈りし香り高いあなたの業績
を讃え御遺徳をこの上とも顕彰致すことを誓います。
 
 在天の霊希(ねがわ)くはこの微意(びい)を亨けられんことを。
  「島あげて祀る曽良の忌風薫る」江藤豊子


              







   
















































































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