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壱岐の風景      曽良翁300年忌記念誌Web版

 

 

 

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勝本城周辺の想像図

 

 

勝本城周辺の想像図

記念誌部 松崎靖男

 

 その昔、勝本城と勝本港周辺の状況はどのようなものであったか、古文書を参考に描いて見ました。

 まず、城山公園には金色に輝く「太閤秀吉の御座所」つくり、枡形虎口には櫓門を配して、本丸は石垣で囲いました。そして、帯曲輪状の二ノ丸を廻らせました。

 戦国時代末期に活躍したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの書簡に、「関白は、自分のための屋敷と宿舎、および食料用の大貯蔵庫の建築を命じた。」と書かれており、また「壱岐名勝図誌」より勝本城の寸法を拾い出して、「食料用の大貯蔵庫」を勝本小学校の地に想定して北の丸を配置して見ました。

 

 緑の線は、勝本城の広さを表しています。「壱岐名勝図誌」の寸法から割り出した位置からみて、地形的に見た位置は若干北に偏っていますが、地形的に見て位置を決めました。

 

 また赤の線は約四〇〇年前の勝本浦を表しています。まず現在の勝本浦から海岸通りを消し、次に慶安年間・西暦一六五〇年頃に平戸藩が壱岐の諸浦を八ケ浦に整理統合した時に、「黒瀬を埋め立て可須浦と本浦を一つにして可須本浦とした」とありますので、黒瀬町を消します。最後に可須浦の正村町ですが、ここは朝鮮通信使を接待するための施設があった所で、たびたび土地の拡張工事が行われ、最終的に可須浦と繋がったのは安永五年・約二二五年前の西暦一七七六年の埋め立て拡張工事の時ではないかと考えています。

 

 

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