×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 

壱岐の風景      曽良翁300年忌記念誌Web版

 

 

 

目次

 

   は じ め に         

壱岐市教育長 須藤正人

 

 

 

 岩波庄右衛門正字(まさたか)。信濃国上諏訪に生をうけ、西海道壱岐国風本浦中藤家の一室にて、その生涯を閉ず。宝永七年五月二十二日、齢六十二。河合曽良その人である。

 江戸時代、将軍の代替りがあると、一年以内に幕府の巡見使が発令され、全国の治政の状況を視察した。

 宝永六年(一七〇九)一月十日、五代将軍徳川綱吉死去、同年五月十日、徳川家宣六代将軍に就任。同年十月二十三日、巡見使発令、同月二十七日、巡見使の担当の国々を発令。

 宝永七年三月一日、九州筋巡見使、江戸を出立。陸路大坂に到着、その後、海路をとり筑前国若松(福岡県北九州市)に上陸。四月二十七日、福岡城下を通過、呼子(佐賀県)より海路、五月七日、壱岐郷ノ浦に上陸。

 この宝永七年の九州筋巡見使の一行に、岩波庄右衛門正字がいた。岩波正字は慶安二年(一六四九)、信濃国下桑原村(長野県諏訪市)の高野七兵衛の長男として生まれ、与左衛門と名付けられた。姉一人、弟一人がいる。

 幼時に両親と死別した与左衛門は、母の兄河西徳左衛門に引きとられるが、間もなく、母の姉の嫁ぎ先である福島村(諏訪市中洲福島)の岩波家の養子となり、岩波庄右衛門正字と名のった。万治三年(一六六〇)十二歳の時、岩波家の養父・岩波久右衛門昌秀が一月に、次いで養母(母の姉)が六月に没した。その後、伯父の伊勢長島(三重県桑名郡長島町)真言宗大智院住職・深泉坊良成の下で成人し、寛文八年(一六六八)ごろ、伊勢長島藩士・川合(河合)源右衛門長征の名跡に入り、河合惣五郎と称し、藩主松平良尚につかえた。

 「曽良」という俳号は長島時代につけられたよぅで、延宝四年(一六七六)二十八歳の正月の句「袂から春は出たり松葉銭」に、はじめて使われている。俳号の由来は伊勢長島の地を流れる木曽川と長良川からとも、故郷信州の木曽の山々と、世話になった大智院良成の一文字をいただいたともいう。

 天和元年(一六八一)ごろ主家を辞した惣五郎は、江戸へ登り、諏訪や長島で神道の教えを受けた吉川惟足に神道・国学・和歌・地誌・歴史を本格的に学ぶために入門する。翌、天和二年十二月二十五日、師の吉川惟足は幕府の神道方に任ぜられ、惣五郎の人生に大きな影響力を持つことになる。

 天和三年(一六八三)惣五郎は甲斐国(山梨県)の高山麋塒家に松尾芭蕉を訪ずね入門する。その後、貞享二年(一六八五)ごろから惣五郎は江戸深川五間堀に住み、晩年までこの地を本拠とする。敬愛する芭蕉は深川六間堀(江東区深川常磐町)と近くにいて、師弟ともに何かと心強く、貞享四年の芭蕉の鹿島紀行には宗波とともに同行を許されるまでに信頼あつき弟子に成長している。

 惣五郎は元禄二年(一六八九)三月二十七日、師・芭蕉の「おくのほそ道」紀行に随行する。頭をまるめ、姿を僧形に変え、名も惣五郎を宗悟と改めての旅立ちであった。訪れる地の神社・仏閣・名勝・旧跡・歴史・言い伝えなどの調べあげは古事記・日本書紀・万葉集・延喜式などに詳しい宗悟の得意とするところであった。延喜式神名帳抄録・名勝備忘録を作り旅に備えている。

 旅の日々の行程・天気・来訪者・立ち寄り先各地で開いた俳諧の座などの、詳細な記録を書き付けた曽良の旅日記が、昭和十八年(一九四三)に発見され、芭蕉や「おくのほそ道」研究の第一級資料となり、曽良の名を不動のものにした。曽良なくしては「おくのほそ道」行脚の成功は無かったと言ってよい。その後も、近畿地方の旅を重ね、「近畿巡遊日記」を表している。

 元禄七年十月十二日、松尾芭蕉没。杉風・岱水らと師・芭蕉の追悼俳座をもよおし、追悼歌仙三十六句を選んだ。曽良のむせぶとも芦の枯葉の燃しさり」も入っている。同年十一月十六日、吉川惟足没。正字は己の人生を支えてくれた両師を一時に失った。

 宝永七年(一七一〇)の九州筋巡見使土屋数馬喬直(小姓組二千石)の「用人」に岩波庄右衛門正字の名がある。幕府神道方・故吉川惟足の門人であり、其の豊富な知識と日本各地の行脚の実績を買われての登用であったろう。それは、俳人曾良としてではなく、学識を高く評価されていた岩波正字としての抜擢であった。正字の友人・関租衡は、旅立つ正字に「庚寅(注宝永七年)の春、巡(ママ)使某君に陪して、しらぬひのつくしの国に赴よし」との送辞を贈る。正字は「春にわれ乞食やめても筑紫かな」の句を曽良の名で作り江戸をあとにする。諏訪の一族には諱の「正字」の名で「立初る霞の空にまつぞおもふことしは花にいそぐ旅路を」の歌を送っている。諱(いみな)とは死後に言う生前の実名、死を期しての覚悟の辞世の句である。

 宝永七年の巡見使は全国を八地区にわけて発令された。そのうち、九州方面の担当は使番三千石小田切靭負直廣、小姓組二千石土屋数馬喬直、書院番三千石永井監物白弘で、一行の総勢は百三十八人を数えた。土屋数馬の班は四十四人。用人という役職は多忙を極めた。来訪者の応待、巡見使への取りつぎ、巡見使三名の諸調整、巡見項目の前準備と整理など、息つくひまもない日々であった。「おくのほそ道」紀行などの経験者であったが、六十二という高齢と、役人としてのつとめは身にこたえた。

 巡見使一行は宝永七年五月七日、壱岐郷ノ浦に上陸。同八日、陸路、風本(勝本)着。五月十五日、対馬への出発にそなえ乗船。その後、連日の悪天候のため風本に止っている。正字は五月二十二日、止宿先の海産物問屋中藤五左衛門家にて没する。中藤家の菩提寺にて葬儀がとり行なわれ、中藤家墓地の墓石に「賢翁宗臣居士也 江戸之住人岩波庄右衛門慰塔 宝永七庚刁天 五月二十二日」とある。戒名の「宗臣」は幕臣であることを示している、と伝えられている。ならば院号があってしかるべき、と思っているが墓石の一部が欠損しており判らない。しかし、曽良の五十回忌集『乞食袋』の口絵画像の戒名にも院号はない。院号はなかったのである。五月二十六日、巡見使一行は風本を出発、同日、対馬に着船している。江戸帰着は、九月のことであった。

 壱岐での土屋喬直の用人としての、正字の具体的な行動を伝える資料を知らない。巡見使の調査項目は四十五項目以上もあり、その内容は、切支丹の有無、名所旧跡、産業、親孝行の人、温泉の有無、米、麦、大豆、木綿布の値段、遠見番所の数など多岐にわたる。

 巡見使一行への無礼がないよう壱岐の人々への数々のお達しがある。上使ご通行の時、見物に出ないこと。家の前を通過の時は、部屋から土間に下りて、男女別々にうずくまり、行儀良くすること。もし道で出会えば脇道に入ってうずくまること。家に立ち寄られることも考えられるので掃除を十分して、清い水をくみおいて、求められればさしあげること。草履を求められれば四文で、草鞋(わらじ)は三文で売ること。役目のある人は衣類を清潔にして精を出して働くこと、大声を出したり大声で笑ってはいけない、質問があれば正直に答えること、一行がお通りの時は頭を地につけ無礼なきよう。役目のない人や子供たちは家にいて出歩かないこと。上使ご通行の道は前日より牛馬を歩かせないこと。お通りの時刻には道を掃き、水を打っておくこと。ご通行後も姿が見えなくなるまでは話し声をたてないこと。上使お泊りの夜は火の用心に最大の注意をし、少しの口論もしないこと。お通りの前後は酒を飲まないこと。以上のことを十分心して守るよう堅く申し付ける、その時々、所役人のすべてが気をつけ違反のないよう申し付ける、と極めて厳しい口上の達しである。

 巡見使の上陸前から対馬渡海までの壱岐島には、緊張感が漂い、物音ひとつしない、いつもとは大違いの息のつまるような生活があった。そんな島に正字はやってきた。しかめ面の日々であったろう。句作に平安を求める余裕は無かったのだろうか。壱岐での句は伝わっていない。記録の達人である正字の巡見使用人日記がいつの日か発見されることを願っている。

 今や『HAIKU』は全世界の共通語として定着した。五七五の十七文字という世界で最も文字数の少ない文学が、世界一広大な抒情詩となって国境を越え、世界中の人々に親しまれている。

 俳諧として誕生した日本の文学は、松尾芭蕉、正岡子規という二人の巨人を得て、今日がある。俳聖松尾芭蕉の高弟・河合曽良の墓が壱岐勝本にあって、本年、三百回忌記念事業が執り行われた。追悼法要・記念式典・記念俳句大会があり、島の小・中学生の句をはじめ全国の俳人からの投句があった。野点の茶席がにぎわい、風雅の会に華をそえた。曽良翁三百回忌記念事業実行委員会の方々、ボランティア活動の人々、諏訪市をはじめ記念事業にご臨席をいただいた各界の方々に、世界中の俳句愛好者とともに、心からのお礼を申しあげたい。唯々、感謝。

 前日の車軸を洗うがごとき豪雨の日が、雲ひとつない快晴の好日となった。曽良忌には雨は降らない、木々の緑がひときわはえた。

 諏訪市から、山田勝文市長の代理として、宮坂敏文副市長、平林治行副議長、平出善一議会事務局長、坂上弥寿奈秘書係主査をはじめ多くの人々のご来島をいただいた。曽良さんがとりもつ御縁は確実に伝わっている。

 その日、おそく、曽良さんの墓前に三人でぬかづいた。内二人は鬼籍の人である。曾良さんを最も情熱的に語った、仲茂勝本町長。曾良さんを最も愛した、原博一南信日日新聞記者。止めどなく涙が頬を伝った。

 

目次へ

 



 

壱岐の風景      曽良翁300年忌記念誌Web版

 

















































































  ブログパーツ