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壱岐の風景      曽良翁300年忌記念誌Web版

 

 

 


 会長挨拶               目次へ


              曽良実行委員会長  山口宏司


 本日ここに、諏訪副市長様をはじめ、ご来賓多数のご臨席をいた
だき、曽良翁三百年忌記念事業の開催にあたり、一言ご挨拶を申し
上げます。
 
 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で、始まる奥
の細道は、人生すなわち旅と観じた"旅の詩人"松尾芭蕉でした。
その芭蕉の高弟「河合曽良」もまた、そのように思い観じていたの
ではないでしょうか?
 
 時は、江戸幕府誕生からおよそ百年後の、元禄文化が花開いた頃、
数多くの文化人が誕生しました。その中の一人が「河合曽良」であ
り、奇しくもこの玄界灘の壱岐の島に、埋葬されていることを思う
とき、何か感慨深いものがございます。
 
 志半ばにして、おそらく長い旅の疲れであったのでしょう、宝永
七年当地勝本にて永遠の眠りについたのでございます。以来、先人
達の崇高な「俳人河合曽良翁」を、ただただ思い偲ぶ気持ちにより、
明治四十二年には二百回忌、昭和九年には二百二十五回忌が執り行
われました。城山公園にある句碑はこの時に、壱岐の俳句の人たち
により建立されたものでございます。平成元年には二百八十回忌、
そして本日の三百回忌と言う、歴史的な大きな節目に携われたこと
は、わたくしどもにとりまして、この上ない幸せなことであり、ま
たこの上ない光栄に存ずるところでございます。
 
 曽良は情義にあつく、正直な人柄、またひっそりとした静かな土
地をもとめて、旅をすることがすきだったことから、その人柄が偲
ばれるところです。また数多くの句から、芭蕉と曽良の細やかな情
愛もありありと偲ばれます。
 
 このような曽良の人柄は、幼年時代から両親を亡くし、また養子
先の両親も亡くすなど、大変苦労が多かった幼少年時代を経てのも
のだったのでは、と思われるところです。
 
 そして、曽良の戒名であります「賢翁宗臣居士」の、「翁」は大変
優れた俳人を意味し、「宗臣」は、幕府からつかわされた役人を意味
していると聞いております。
 
 この度の、三百年忌にあたり、曽良の生誕地であります諏訪市で
も、写真展、俳句大会が数ケ月にわたる長期間実施されていると、
お聞きしております。曽良翁がとりもった、諏訪市と壱岐市のご縁
も未来永劫、長きにわたるお付き合いになるものと確信いたしてお
ります。
 
 今この時、城山の丘から、波静かな勝本の港を見下ろして、曽良
翁は何を考えておられるのか思いはかることもできませんが、この
三百年忌を契機に、偉大なる「俳人河合曽良翁」を次の世代に継承
することこそが、わたくしどもに与えられた使命であることは言う
までもありません。
 
 本日の記念事業には、小中学生の皆さんから多くの俳句の応募を
いただきました。また、市内外からも約一千の句の応募をいただき
ました。心よりお礼を申し上げます。
 
 最後に、この度の「曽良翁三百年忌記念事業」の実施は、故仲茂
様が計画され、その企画も進んでおりましたが、大変残念なことに
お亡くなりになり、その後をわたくしが引き継がせて頂きました。
 
 仲様のご功績には遠く及ぶはずもございません。ここに改めてご
冥福をお祈り致します。
 
 また、今回の記念事業の実施にあたり、関係各位におかれまして
は、大変なご配慮、ご尽力をいただきました。ここに、厚くお礼を
申し上げまして、ご挨拶とさせて頂きます。


  
     
              







   
















































































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